写真、何を撮っているのか問題
何を撮っているの?
と聞かれると、答えるのが難しい。線と、面と、光。たまに、色。そんなことは言いづらいので、街中のちょっとしたものを撮っている、特に影なんか好きですね。が正答例だろうか。
それはそうと、実際に何を撮りたいんだろう?というのはよく分からなく問題だ。極個人的問題。他の人に相談しても解決しない、私の頭の中の、ちょっとした靄のようなもの。
贅沢な悩みを持てて、少し嬉しくもある。
街中の影など写真
何かあるんじゃないかと思うんです、光と陰の間、壁と空間の間、そういうところに。
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線と、面と、光。これがあれば十分。色があればなお良いけれど、そこまでは求められない。
写真、幕が上がる(上がらない)
覆うものは魅力的なので
立ち止まっては撮ることにしている。工事現場の覆い、なにかに掛けられたビニール袋、自転車やバイクをくるむカバー。
そのシワや影は常に移り変わるので、水面などと一緒のカテゴリーだ。一定ではなく姿形を変えてしまうもの。
しかし、カバーの周りをくるりと回って写真を撮るというのは、考えてみるとちょっと怪しい。いまのところ誰にも何も言われないが、すごい速度で近寄り、しゃがみ、映し、立ち去る。これをルーティンとして練習を重ねよう。
やっぱりすごく怪しい。
カバーを撮った写真
早朝にパシャリ。これに限ります。
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壁にかかっていた何かの写真。
水たまりに映るものは
旅のおもひで
旅先では写真が撮れない
あまり頻繁に旅行には行かない。だからこそ、行った時は目の前のものを楽しむことに集中する。
美術館で自由に写真が撮れるとしても、何とか脳裏に焼き付けたり、何かを受け取ろうと目を凝らし、距離を取ったりちかづいたり。
そうして帰ってきた後で、もう少し撮っておけば良かった、あの風景も素敵だったな、と記憶の中で美化された景色を何度も眺める。
それでも何とか撮ったもの
暑かった。日差しが強かった。遠くまでよく見えた。そんな断片的なものたち。
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ご近所ではパイプや電柱、草木なんかをパシャパシャ撮るのです。
何か薄っすらとした光
秋冬らしい写真って
どんなものだろう。そう考えると、何か薄っすらとした光があるような写真がいいのではないかと思った。漠然としたものや、予感を感じるもの。
現実には、秋が感じさせる予感というのは冬の到来だろう。暖かく気持ちの良い季節の終わり、一年の終わり。
あぁ、色んなことをすっぽかして部屋にこもり、冬ごもりの準備をしたい。冬ごもりしないけれども。
薄っすらとした光の写真
水面や、幕や影や曇りガラス。反射と透過は写真の友達。たぶん。
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橋の上から、橋の下に落ちた影を撮ったもの。楽しい。
写真、地面に免じて
視点を変えると
見えないものが見えるかもしれない。たとえば立ったままでは面白みのない景色が、まったく違って見えるかもしれない。
そんな期待を持って、地面にカメラを近づける。時に、地面にカメラを置いてみる。iPhoneだと、薄く小さいので、変なところにカメラを置いたりもしやすい。
視点をいつもと変えられるのは、写真を撮る楽しみのひとつのように思う。
最近撮った地面写真
砂つぶが見えるようなものが良いです。
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カメラを地面に置いて、少し上に向けて撮ったもの。カメラを置くメリットとして、三脚がなくても安定した画面が撮れるということがあるかもしれない。
デメリットは、カメラが汚れること。
写真、みどりのもの
光が透過するような
薄い葉っぱなんかが好きです。だから木があると下から光を覗き込む。幹の表面、幹と風景との境界線、枝と葉っぱの形、葉っぱと空の関係性。
それらはもっと追求する価値があるんだろうな、となんとなく思う今日この頃。
秋が深まれば、色が変わり、葉は落ちて、また違う景色を見せてくれるんだろうな。
最近撮った緑な写真
少し前に撮ったものもありますが。みどりのものは撮っている時にあんまり考えなくて良い感じがして楽しい。
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カバーがあると写真を撮ってしまう。覆うもの、隠しているものは気になってしまう。